八百年の三地域(肥前、日向、越前)、三宗教文化(仏法、キリシタン、神道)、
三時代(武士、天皇、近代)を生き抜いた武士一族の子孫の法人

 
延岡市(向日有馬)

延岡城の城壁

「千人殺し」の石垣、今山八幡宮の梵鐘「城山の鐘」、三階櫓が有名。
 
 

 

延岡城

1603年に高橋元胤により築城。1614年に有馬直純が島原から移転。
宮崎県延岡市の五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた中州と中央の城山に城取す。
本城と西の丸の2郭から構成。城主は西の丸を居城とした。
 
 

 
大手門
 
 
 
 

 

「千人殺し」の石垣

「千人殺し」の石垣、今山八幡宮の梵鐘「城山の鐘」、三階櫓が有名。
 
 
 
 
 
 

 

西の丸、延岡城・内藤記念博物館

延岡城主の館は城山ではなく西の丸にあった。
現在は延岡城・内藤記念博物館になっている。
 
 
 
 

 
明治期の内藤家の延岡市への功績は大きい。
 
 

 
西の丸から見た 「千人殺し」の石垣
 
 

 

愛宕山

愛宕山からの市街の遠望
 
 
 
 

 

愛宕神社

延岡城の城山の頂上には城が築かれる前に愛宕神社があった。
 
 

 
築城のために愛宕神社は近くの笠沙山に移築され、笠沙山は愛宕山と言われるようになった。
 
 
 
 

 

愛宕山

愛宕山は「出会いの山」として若いカップルがよく登ってくる。
 
 
 
 

 
笠沙山は神代の世から「出会いの山」の伝説があった。
江戸時代に日向御前、有馬国姫は「愛宕山は男しか登れないというのはおかしい、女も登れるはず」と言って、馬で駆け上った。その後は、女も登るようになった、との言い伝えがある。
 
 

 

日向御前 国姫

日向御前、国姫が亡くなったのは江戸であるが、墓は日蓮宗本東寺にある。
 
 
 

 
この墓は供養塔と思われる。
 
 

 
国姫は有馬晴信の長子の直純の正室であるが、徳川家康の曾孫であり、
また、織田信長の曾孫。更に、本多忠勝の孫でもある。
国姫は家康の養女(娘)として、直純に嫁いだ。
 
 

 

有馬康純の墓

本東寺には国姫の長子の有馬康純の夫婦の墓もある。
左右の五輪塔は康純の長子の清純(永純)が建てたと言われている。
 
 

 
有馬康純は1692年に亡くなっている。79歳の長寿である。
この時、有馬家は富山県糸魚川に移封になっており、康純夫婦は延岡に残った。
有馬家の菩提寺は全て糸魚川に移転したので、康純の墓は本東寺に建てられたと推定する。
多分、糸魚川領へ移封の後に康純公夫妻の住まいになっていた可能性がある。
 
 

 

本東寺

 
 
 

 

慈福寺

縁起は古いが、延岡有馬家三代、直純、康純、清純の影響が強く、1529年には高岳寺の末寺として再興されていた。
 
 

 
真ん中に阿弥陀仏、左右に観音菩薩と勢至菩薩が鎮座し、有馬廉純公の位牌が立っている。
 
 

 
有馬康純公の位牌
 
 
 
 

 

裕国寺

 
 
 

 
有馬廉純公の五輪塔の地輪部分のみが伝わる
 
 
 

 

常念寺

有馬廉純公の病気回復を祈願し自刀した鷹屋市之丞の五輪塔
 
 
 

 

城影寺

延岡城の近くにある城影寺は「国姫の化粧水」と言われた清水がある。
昔は7つの清水があった。
 
 
 

 
また、島原の原城一揆で出陣した直純、康純の家臣の56名が戦死している。
その供養碑が建っている。
 
 

 
延岡市観光マップ