八百年の三地域(肥前、日向、越前)、三宗教文化(仏法、キリシタン、神道)、
三時代(武士、天皇、近代)を生き抜いた武士一族の子孫の法人

 
南島原市(肥前有馬)

原城址

島原半島南島原市南有馬町の原城城址の本丸の城壁。原城は近くの日野江城主、有馬晴信によって、1599年から日野江城の支城として、海岸の岸壁沿いに築城された。1604年に完工した。2018年に原城址は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された。
 

 
 
 
 
 

 
原城本丸から見た普賢岳
 
 

 
原城本丸から見た天草諸島
 
 

 
原城本丸跡の天草四郎の石像
 
 

 
原城本丸跡のキリシタン慰霊碑
 
 

 

日野江城址

島原半島南島原市北有馬町の日野江城城址の本丸の城壁。
日野江城はキリシタン大名の有馬晴信の居城、鎌倉時代の1213年から1219年に有馬経澄により築城された。
 
 
 

 
日野江城本丸から見た原城址
 
 
 

 
日野江城の海側から二の丸へ連なる大手門の石階段。
入口の左右の城壁底部は大きな切削石が使われ、また、階段の石の一部は仏寺の大きな墓石が使われている。
キリシタン大名の有馬晴信がキリシタンへの改宗を誇示した証として注目に値する。
 
 
 

 

有馬キリシタン遺産記念館

有馬晴信のキリシタン保護政策と南蛮貿易が展示され、また、ローマ法王に謁見した大正遣欧少年使節の4人は、有馬晴信、大村純忠、大友宗麟の名代として、1582年に出航、1590年に帰国した。
宗教学校、セミナリオなど、イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニヤーノの功績が讃えられている。
 
 
 
 

 

千々和町

千々和ミゲルの出生地
 
 
 

 
遠方に見える陸は島原半島南部
 
 
 

 
千々和城址の天満宮
 
 

 

大村藩

長崎市の東の大村湾に沿った大村市
 
 

 
本経寺
 
 

 
大村藩の城主の墓石
 
 

 
キリシタン大名の大村家の墓地のクルス灯篭はキリスタンの影響
 
 
 

 
キリシタン大名 大村善前公
 
 
 

 
玖島城内堀の蓮池
 
 
 

 
玖島城大手門跡
 
 
 
 

 
明治時代の中祖 大村喜前公の銅像
 
 
 

 

大村瓜紋

肥前有馬家の家紋、有馬晴信以前の家紋であり、以後は、「五瓜の剣唐花」という剣が入る家紋に変わる。
 
 

 

有馬晴信公の石祠

南島原市には有馬家の墓は無い。1614年に宮崎県延岡市の延岡城に一族郎党は移転した。
更に、の墓は延岡領にも、その後の、転出先の丸岡領にも無い。
有馬晴信は岡本大八事件に巻き込まれ、謫居先の山梨県甲州市にて江戸幕府の命により刑死する。
その墓の場所は不明、しかし、近くに石祠があり、近隣の家人が墓として守って来た。
毎年、6月5日の命日に花を手向けている。
 
 

 

有馬晴信の継室のジュスタの墓所

京都の盧山寺、ここに有馬晴信の継室の中山親綱の娘、ジュスタが眠る。
ジュスタの子、男子二人は、有馬晴信の刑死地にて晴信の死後に長子の直純に殺される。
ジュスタの子、娘は甲州の家人、有賀家に嫁ぐ。
盧山寺は紫式部の生家があったところとして有名。
 
 

 

来国光の飾り刀

有馬家の宝刀と言われた来国光の一振りが収められていた江戸時代作製の飾り刀、こしらえ。
一面に有馬家の家紋が飾られている。